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些細な心配からはじまって、少し厄介な心配まで私たちはたくさんの心配事を抱えているものです。

心配しても仕方がないことはわかっていても、それでも心配になってくる。

人間の心とはそういうものです。

さて、この心配というものは一体どこに存在しているのでしょうか。

過去、現在、未来ということを考えたとき、全ての心配は未来の中にあるのです。

過去の心配は、既に過ぎ去ったものですから、もうどうすることもできません。

例え心配していたとおりのことが起こったとしても、起こってしまったことは仕方がありません。

それに対して、手立てをしていくしかない。

そして手立てをはじめることで、それは心配というものではなくなります。

自分が望むものがベストであり、それが叶わなかったら、落ち込まないで、次にセカンドベストをやればいい。

「心配」が「やらなくてはならないこと」に変化する。

そうなれば、意外と気が楽になるものです。

漠然とした相手ではなく、相手の姿が見えるわけですから。

そういう意味で心配は、過去の中には実は存在していないのです。

全ての心配は、未来という時間の中にのみ存在しています。

明日はこれができるだろうか。

来週の仕事は上手くいくだろうか。

未だ来ていない時間の中にこそ心配は宿っています。

言うなれば、全ての心配は「先のこと」というわけです。

そしてそれは、今という瞬間の中では消え去っています。

明日のことが心配だとしても、その明日が来ればその心配は感じなくなるものです。

例えば、来週野球の試合があるとします。

大切な試合で、どうしても勝ちたいと思っている。

十分な練習は積んできたつもりでも、やはり心のどこかで、心配する気持ちが生まれてきます。

エラーをしたらどうしよう。

一打席もヒットを打てなかったらどうしよう。

もしも、自分のせいで試合に負けてしまったらどうしよう。

試合のことを考えれば考えるほど、新たな心配の種が見つかる。

このように、緊張感から生まれる心配事は誰しも経験していると思います。

その心配は試合が始まるその瞬間までつきまとっています。

しかし、プレイボールの宣告がなされたその瞬間に、それまでの心配はすーっと消えてなくなります。

どうしてなくなるのか。

それは、今という瞬間に心が集中するからです。

一球一球のボールに全神経が集中している。余計なことを考えずに、心が試合に集中している。

自分自身が野球そのものになり切っているという状態なのです。

つまり、未来にやってくる心配事は、それがやってきた瞬間に姿を変えるのです。

「三世」という言葉があります。

三世は「過去」、「現在」、「未来」のことをいいます。

この中で一番大切なのは、「現在」です。

先に述べましたが、過去はどうすることもできない、未来のことは誰にもわからないことだからです。

私たちが生きるべきは「今」というこの瞬間なのです。

過去に囚われることなく、未来に不要な思いを馳せることなく、今というこの瞬間にすべての心を尽くしていく。

時は常に移ろいでいくものです。

例えば、今あなたはこの小論文を読んでいます。

しかし、上記内容を読んでいたときのあなたは過去のあなたです。

そして、これからの小論文を読むあなたは未来の姿です。

呼吸にも同じことが言えます。

息をして吐く。

吸っている瞬間は現在ですが、その息を吐いた瞬間に吸ったことは、すでに過去のことになる。

大切なものはどこにあるのでしょう。

それは前に述べたとおり、未来のことではありません。

今読んでいる、この一行こそが最も大切な瞬間なのです。

今というこの一瞬に意識を集中させてください。

今やるべきことをやり、それだけに目を向けること。

過ぎ去ったことに執着することなく、未だ来ない時間にいたずらに怯える必要はありません。

すべてのものは過去のものになります。

また、望むと望まないと未来は必ずやってきます。

どんなに嫌な事や苦しいことがあっても目の前でパチンと手を叩けば、次の瞬間が必ず来るものです。

気持ちの切り替えを図って、今という瞬間だけを見つめることです。

目の前に、長い階段があります。

その階段を前にして上ることを諦める人もいます。

階段の先には何が待ちつけているのか。

それが心配で上ることをためらっている。

もしかしたら、すばらしい風景が広が手いるのかもしれませんが、階段の上の世界を案ずるあまり一歩を踏み出そうとはしない。

その姿こそが過去の世界に執着し、現在を生きていないというものだと思います。

目の前にある階段を一歩、一歩上ってみることです。

上ることだけに心を集中させ、一生懸命に歩んでいくことです。

そして途中で来た道を振り返ってみる。

そこにはきっとこれまで見た事がないような世界が広がっている。

自分自身の歩みを全身に感じることができるでしょう。

これが生きているという実感です。

あれこれと考えずに、とにかく今という一瞬を一生懸命に頑張ること。

その積み重ねによって、結果は自然についてくるものです。

今という瞬間を頑張れる人は、明日も頑張ることができる。

今を頑張ることができない人は、いつまでたっても頑張ることはできません。

「今日やらなくても、明日頑張ればいいや」と思う人は、明日になると同じ言い訳をします。

そうして、何事も頑張ることなく人生を終えていくことになります。

目の前の階段をまず、一歩上ることです。

初めの一歩を踏み出した瞬間に過去への囚われはなくなります。

と同時に未来への心配も遠のいていく。

100段もある階段でも、最初の1段を上ることで、もうすでに半分上ったのと同じようなものです。

今という瞬間を大事にすることです。

心配事は現在にあるのではなく、まだ来ぬ未来の中にある。

それはどうしてかというと、未知のものに対する不安があるからでしょう。

自分が経験をしてないことに対しては、あれこれと心配するのは当然のことです。

例えば、転職をする人が増えてきました。

これまでの会社から変わるのですから、心配するのは当たり前です。

新しい仕事にすぐ慣れるだろうか、実績は上げることができるだろうか、そんな心配は、新しい世界にはつきものです。

でも、冷静になって考えれば、この手の心配は一生懸命に仕事をしていく中で自然と消滅するものです。

これまでの自分の経験も活かしながら、とにかくやるべきことに集中する。

そうするうちに、未経験のものは経験に変わっていきます。

具体的に解決策は見いだせるものです。

ところが、未知の人間関係に対する心配は、そう簡単には消えることはありません。

なにせ相手のあることですから、自分の努力ではどうしようもないこともあります。

転職をしたり、あるいは同じ会社の中でも部署が変わったりすると、人間関係への心配はどうしても生まれてきます。

「会社の仲間に溶け込めるだろうか」、「新しい部署でうまく付き合っていけるだろうか」同じ未知のものでも、人間はそれこそ千差万別ですから、予想もつかなかったことも起きるでしょう。

新しい人間関係への不安や心配。

それを抱えている人がたくさんいます。

それに対しての答えとして「とにかく、笑顔であいさつをすること」があげられると思います。

「朝に会えば「おはようございます」、帰り際には「お疲れ様でした、お先に失礼します」と言う。

それも大きな声でいうことです。

そんなの当たり前だと思われるかもしれませんが、そうであるならばこれを実際に実行している人はどれぐらいいるでしょうか。

私が見る限り、意外と少ないと思います。

朝にあいさつををするのは当たり前です。

しかし、小さな声でうつむきながら「おはようございます」と言うのは、あいさつとは言えません。

「おはようございます。」という言葉の中には、相手に対する思いやりが含まれています。

「今日もお早いですね、お風邪など引かれていませんか、お互いに一日元気でがんばりましょうね」などです。

そんな気持ちを凝縮させた言葉が「おはようございます」なのです。

もしもうつむき加減に小さな声で言ったとしたら、この心は相手に通じるでしょうか。

通じるはずがありません。

人の声はコンピュータから出てくる声ではありません。

発する人の心が詰まっている声なのです。

相手の声を聞いただけでも、その人の心の健康状態はわかるものです。

ですからこそ、大きな声で、笑顔で挨拶をすることが大事なのです。

挨拶こそが人間関係の始まりであり、お互いの心が通じ合うものだと私は思っています。

相手のことを思って慈しむ気持ちを込めた言葉を送る。

和やかな笑顔をもって、心から挨拶を送る。

ただそれだけで、周りの人のこころは開くものです。

未知への世界へ飛び込むならなおさらです。

初めて会う人に対しても、笑顔で大きな声で「よろしくお願いします」と言ってみてください。

中にはぶっきらぼうな返事をする人もいるかもしれません。

それでもかまいません。

「和顔愛語」を続けていれば、あなたをとりまく環境も必ず穏やかなものになります。

確かに未知の人との付き合いは心配のなるでしょう。

どんな人なんだろう。

自分を受け入れてくれるだろうかなど。

そして、世の中にはいとんな個性をもった人がいる。

10人いれば10通りの表現があるものです。

それでも私は、こちらが「和顔愛語」をもって接して、それを拒否する人を見たことがありません。

表面的には格好をつけていても、心の中では受け入れている。

それが人の心と言うものです。

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