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人生には何となくではありますが、指標なような道筋があります。

例えば、現代社会では高校や大学を卒業すれば、どこかの会社に就職する。そして20代の後半から30代前半には結婚して自分たちの家庭を築く。

子どもを育てるために一生懸命働き、子どもを一人前にして世の中に送り出す。

その後は再び夫婦二人になり、やがてはどちらかが先に旅立っていく。残された者は一人静かに暮らしながら、お迎えがやってくるのを待つ。

人間の一生というものに敷かれたゆるやかなレール。そんなものが漠然とあるような気がします。

これが「普通」のレールなのだと。

そして、もしそのレールから外れたとしたら、そこに「不安」というものが生まれてきます。

自分はもう40歳なのに、まだ結婚をしていない。

早くに結婚したけど、子どもを授かることができない。

あるいは、せっかく大学を卒業したのに未だ就職先も見つからない。

自分はもう、人生のレールから外れてしまったのだと。

他人と違うことへの不安。

「普通」ではない自分に対する情けない思い。

そんな気持ちが波のように押し寄せてきます。

世の中ではよく「普通」とか「平均」という言葉が使われます。

あたかもそれが正解で、普通でない事はいけないように捉えることがあります。

では聞きたいのですが、「普通」とは何ですか?

「平均」の中にいないことは悪いことなのでしょうか。

それらは全く実態のないもので、本来は「普通」と自分を比較することなどできないのです。

人間は比べたがる生き物です。

隣の人と比べ、同じ境遇の人と比べる。

それは無意味なことではありますが、ある意味どうしょうもないことです。

ただし、隣の誰かと比較するのはまだしも、実態のない「普通」や「平均」と比較することは、自分で自分の首を絞めるようなことだと思います。

子育て世代では、よくこのようなことを耳にします。

産まれた赤ちゃんはおおよそ10か月でつかまり立ちを始めます。

1歳を過ぎれば、よちよち歩きができるようになります。

これが成長過程の「平均値」として示されています。

この「平均値」ばかりに縛られて必要以上に神経質になる親がいるといいます。

「うちの子はもう11か月なのに、まだつかまり立ちをしていないんです。どこか体の機能が悪いのでしょうか」

そんな心配を抱えて病院に来る親も多いとのことです。

さすがに2歳を過ぎてもつかまり立ちができないのであれば、それは不安になるでしょうが、少し平均値から遅れたぐらいで心配するのは行き過ぎではないでしょうか。

あるいは、小学校の1年生になれば、いろんなデータが目の前に現れます。

平均身長、平均体重、学力テストの点数、50m走は何秒など数値化されるものが多く、いかにもそれが正しいかのように思わせてしまう。

しかし、実はこれらすべての平均値に合致している子どもは一人たりともいません。

社会には、こうした実態のない平均値があふれています。

結婚平均年齢や出産平均年齢、子どもの数は平均1.5人だとか、平均年収は何百万だとか。

よほど人間は他人と比較し、それを平均値として数値化し「これは勝っているとか、負けているとか」とにかく平均値が大好きなのです。

勝っているものに対しては喜び、負けてしまっているもににはコンプレックスを持ったりする。

そればかりか、普通ではない自分が不安になってくる。

全く余計な不安だと思いませんか?

それらを一つの指標として冷静に見るのならいいですが、そこにとらわれてしまっては、それこそ自分の人生を歩めないことにもつながります。

目指すべきものは「普通」でも「平均」でもありません。

自分だけの人生を歩むこと。

それを目指す事が大切なのです。

世の中にあふれている「普通」に惑わされてはいけないと思います。

もしも、自分は結婚しないで、一人で生きていくと決めたのであれば、それがその人自身の「普通」なのです。

平均収入より低いけれど、自分はこの仕事を続けていくのだと決めたのであれば、それがその人の「生業」です。

大切なことは自分自身の心で、決めること。他人の助言は受けても最終的には自分が決めることが大切です。

自分を信じて人生の選択をしていけばいいのです。

人間は一人ひとり違う存在です。

人間の数だけ選択肢があり、人間の数だけ生き方があります。

どんな選択をしようが、どんな道を歩もうが、自分自身で考え抜いて決めたものである限り、すべては正解だと思います。

自分はこういう人生を歩むことを決めた。誰が何と言おうが、自分はこの道を選ぶ。心を固めて人生を歩いていく。

しかし、その途中には後悔の念に襲われることもあります。

もっと別の選択があったのではないだろうか。

やはり、あのとき別の道に行っておけばよかった。

後悔の念が次々に湧き上がってきます。

それは当たり前のことです。

後悔のまったくない人生などありません。

どんなに強い信念を持っても、どんなに自分を信じて道を選ぼうが、後悔というものは必ずつきまとってくるものです。

自分が選択した道に対する後悔。

すべての人間は多かれ少なかれそれを抱えながら生きています。

いかに自信満々に見える人でも、心の奥底には小骨のような後悔がたくさん突き刺さっている。

そして、この後悔の気持ちがあればこそ、人は一つずつ成長の階段を上ることができるのです。

自分自身が選んだ道への後悔はかまいません。

ただし「普通」や「平均」を意識して導き出された後悔は、重く暗い後悔として心に残ってしまいます。

実態のないものと比べることは、実態のない道を歩くようなものだからです。

もしも、今あなたが「普通」と比べて不安になっているとしたら、もう一度よく考えてみてください。

「普通」とは、一体何か、それは実態のないものです。

実態のないものに後悔をしても自分自身が苦しくなるだけです。

次に「知識が不安を生み出す」ことについて述べます。

知識が偏重される時代になりました。膨大な情報が押し寄せる中、それを知識によって眺めていく。

それは決して悪いことではありませんが、知識に偏り過ぎる裏面で、知恵が失われているように感じます。

先日ある20代の男性と話をしました。その男性には長年付き合っている女性がいます。

将来は結婚を約束した仲です。

結婚することは心に決めているのですが、今はなかなか踏み切れないというのです。

理由を聞くと経済的な問題でした。

まだ給料が安く、月に20万円しかありません。

二人で稼げば40万になりますが、子供ができたら彼女は仕事を辞めなければならない。

すると今の20万では生活することができないと。

給料が20万だとしてマンションを借りれば10万はかかる。

食費は削っても5万はかかる。

その他光熱費やら雑費を計算したら、とても生活できないということです。

確かに現実的ですが、どうも知識ばかりで考えているような気がしました。

何にいくらかかるから、これでは給料で賄えないと。

そうではなく、知恵を働かせてみてはどうでしょうか。

家賃に10万かかると決めてかかっていますが、何も10万のマンションに住む必要はありません。

5万のアパートでも良いのです。

また、食費についても自炊を毎日行えば月に5万もかかりません。

それでしばらく共稼ぎをして、子どもが生まれたときのために蓄えを作っておけばいい。

今、大切なのは10万のマンションに住むことではありません。

二人で一緒に住むことが一番大切なことなのですから、そこに焦点を合わせて知恵を出していけばいいのです。

大切なのは「知識単体」ではなく「知識を振り絞った知恵」なのです。

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