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心配と不安というものがあります。

これは一見同じように思えますし、また、ある意味では繋がっている部分もあります。

しかし、別のものと私は捉えます。

不安感というのは、得てして実体のないものだったりします。

そして現在ばかりではなく、将来にわたって襲いかかってくるようなものではないでしょうか。

それに比べ、心配というのはごく身近なところにあります。

それは非常に具体的なもので、まさに現在や近い未来、明日であったり明後日であったりという時間の中に存在している。

一つひとつを良く見れば、それは小さな心のトゲのようなものかもしれません。

例えば「心配性」という言葉があります。

つい小さなことでも心配になる。

心配しなくてもいいものにまで心が行ってしまう。

これは言い換えれば癖のようなものです。

ですから、「心配症」と書くのではなく「心配性」と書くわけです。

もう一つの「不安症」というのはもっと根深いもので、それは病にも繋がっていく恐れがあるものです。

そのように考えれば、心配と不安感の間には若干の差があると思います。

自分は心配性だと思っている人。

少しのことでも気になって、つい心配になってくる。

日がな一日、細かいことを心配してばかりいる。

何とかそんな自分を変えたいと思っている人も多いでしょう。

まず言えることは、心配性は決してマイナスのことばかりではないということです。

例えば、私は誰かと待ち合わせをしたとき、必ず10分前には着くように心がけています。

10分前に必ず着くようにしていると、結果として15分前に着くことがほとんどです。

どうしてそうするのか。

それは、万が一電車が遅れたり、不慮のことが起きたりしてはいけないと思い「心配」しているからです。

多少電車が遅れたとしても時間に余裕をもって出かければ大幅に遅刻すことはありません。

何かあったら遅れてしまうという心配があるから早めに家を出る。

心配することがあるのであれば、それをなくすために用心深い行動をすればいい。

何も行動することなしに、ただ「こうなったらどうしよう」「失敗したらどうしよう」と悩むだけでは何も解決しません。

「心配」というのは「心を配る」と書きます。

あれこれと心を配ってばかりいる。

心の中で考えれば考えるほどに、心配はどんどん大きくなっていく。

それが、心配を生み出す原因なのです。

心を配っているばかりではなく、まずは行動に移すことです。

例えば明日、大切な仕事があるとしましょう。「上手くいくだろうか」「失敗したらどうしよう」仕事をしていれば、そういう心配事は日常的にあるものです。

明日の仕事が心配で夜も寝れない。

こんな精神状態だとうまくいくものもうまくいかないでしょう。

心配するだけで物事は解決しません。

心配する暇があったら、できる限りの準備をすることです。

明日の仕事のために、今考え得るあらゆる手立てを講じること。

もうこれ以上は準備をすることはない。

そう思えるところまでやりきることです。

もしもそこまで準備万端に整えることができれば、心配はすっとなくなるものです。

「ここまでやったんだから、後は天命に任せるしかない」と腹をくくることができます。

万が一、上手くいかなかったとしてもやり切ったという満足感はきっと残る。

要するに心配するということは、ギリギリまでの努力をしていないという証拠だともいえるでしょう。

「石橋を叩いて渡る」という言葉があります。これは心配性の人を表す言葉です。

しかし、この言葉は悪い意味ではないと思います。

この石橋を渡っても大丈夫だろうか、そう心配するからこそ、大丈夫であることを叩いて確認する。

そうして自分自身で確認するという行動をとることで、よし、これは大丈夫だと堂々と渡ることができる。

自分の身を守るための用心です。

心配ばかりしている人は、橋が大丈夫かどうかも確認することなく、ただただ「崩れたらどうしよう」と渡ることを躊躇します。

心配する前に、まずは自分で確かめることが大事なのです。

何も確かめることなくわたる人もいるでしょう。

明らかに危ないと思われても、大丈夫だと自信満々に渡る。

挙句の果てには、橋は崩れ落ちてしまう。

これは度胸があるとか、自信があるとかいうものではありません。

ただ用心深さや分別に欠けた人です。

世の中にはいろんなリスクがあります。

外に出かければ風邪がうつるリスクも高まりますし、電車が遅れるというリスクもあります。

すべての危険を避けることなど不可能です。

そうであるかといって、そんなリスクを心配ばかりしていても仕方がありません。

風邪がうつらないように、マスクをして出かける。

電車が遅れても間に合うように早めに出かける。

そういう準備を日々心がけることです。

そして準備を整えたとしても、どうしようもないことがあります。

マスクをしてうがいを心がけても風邪をひくことはあるでしょう。

それはもう諦めるしかありません。

そこまで、完璧に準備をすることはできないのですから。

やるだけやったら、後は野となれ山となれ。それくらいの気持ちを持つことも必要ではないでしょうか。

今、あなたに心配事があるとすれば、それを書き出してみてください。

そして、一つひとつの出来事に対して自分ができることがあるかどうかを考えることです。

やるべきものが見えたなら、すぐに行動に移すこと。

心を配ってばかりいないで、ともかく行動すること。

行動している最中に心配は顔を出さないものです。

自ら行動することで薄らいでいく心配がある一方で、自分が行動を起こせないような心配もまたあります。

その大きな心配の一つが、家族に対しての心配です。

田舎に暮らす両親は元気にしているだろうか、体は大丈夫だろうか、困っていることはないだろうかなど心配にはなりますが、たびたび様子を見に行くこともできません。

せいぜい電話で、声を聞くことくらいしかできない。

あるいは、一人暮らしをしている子どものことを心配する。

ちゃんと食事はしているだろうか、風邪などひいていないか、お金はあるのだろうか。

心配しても、してやれることはありません。

心配しても仕方がないことは分かっていても、それでも心配になってくる。

それが親心であり、子どもが親を思う気持ちなのです。

そういう肉親に対しての心配は誰もが持っているものです。

そしてこの心配からは、あえて目を背ける必要はありません。

なぜならば、それは愛情から生まれる心配だからです。

愛するがゆえにその人のことを心配する。

人間として当たり前の感情であり、それはとても美しい心だと私は思っています。

たとえ、何もできないとしてもただ遠くの空から見守っている。

きっとその心は親や子どものところに届いていると思います。

家族が心配してくれている。

その気持ちが十分にわかるからこそ、きちんとした生活をしようと心がける。

子どもたちに心配をかけないようにと、健康に気を配る。

そばにいなくても、家族が自分に心を配ってくれている。

そんな安心感に包まれることで、人は強く生きていけるのだと思います。

親が子どもを思う気持ち。

子が親を思う気持ち。

それはいくつになっても変わることはありません。

深い愛情がある限り、その気持ちは永遠なものなのです。

こんなエピソードを何かの記事で読んだことがります。

Aさんは母親の手一つで育てられました。

母親は一生懸命に働いて一人息子を育てました。

経済的には貧しい家族でした。

それでもAさんは努力を重ね大学に進学しました。

アルバイトで学費を稼ぎながら食事代を削って勉学に励みました。

そうした努力が実り、Aさんは自ら立ち上げた会社に成功するのです。

成功を収めたAさんは、久しぶりに田舎に住む母親のもとを訪ねました。

運転手付きの高級車に乗り、高価なお土産をいっぱい抱えて母親に会いに行きました。

母親は立派になったAさんを見て、心の底から喜びました。

母一人子一人のせいで、随分とAさんには苦労をさせてしまった。

愛情はあっても、何もしてやることはできなかった。

いつも母はそんな思いを抱えながら生きてきたのでしょう。

久しぶりの実家で暖かい時間を過ごしたAさんは、帰り支度をしていました。

するとそこに母が来て、Aさんの手に何かを握らせたのです。

Aさんの手の中には、くしゃくしゃになった千円札が一枚入っていました。

「これで、栄養のあるものでも食べなさい」

母はそう言いました。

相当な年収を得るようになったAさんにとって、それはあまりにも小さな金額です。

しかし、母にとっては大切なお金です。

その大切な千円札を母は愛する子どもの手に握らせた。

子どもに美味しいものを食べさせてやりたい。

そんな思いが詰まった千円札でした。

母親の愛情と心配する気持ちがいっぱい込められた一枚の千円札。

Aさんはそのくしゃくしゃの千円札を肌身離さず持っていたと言います。

親の愛情はこういうものだと思います。

もし、あなたが抱えている心配事が愛情から生まれているものだとしたら、その心配は大切に持っていることです。

たとえ何かをしてあげることができないとしても、その気持ちはきっとその人のところに届いている。

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