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「知足」という有名な言葉があります。

一度は耳にしたことがあると思います。

「足を知る」ということ。

今、自分が持っているものに満足する気持ちを持つということです。

むやみに欲しがることなく、今のもので十分だという心を常に持つということ。

それがすなわち、人生を豊かにしてくれる。

人間の物欲はとどまることを知りません。

10のものを手に入れれば、そこで満足することなく100のものを求めるようになる。

必要がないとわかっていても、自分に言い訳をしながら手に入れようとする。

もしもこのような物欲の渦に巻き込まれてしまったら、永遠に満足感を味わうことができなくなってしまいます。

終わりのない物欲の渦。

それはまるでアリ地獄の如く襲ってきます。

どこかで自分自身に歯止めをかけなければ、物欲に支配された人生を歩むことになる。

ものを得ることがすなわち幸せであるという考えに陥ってしまいます。

何かを手に入れたいという気持ち。

もっとたくさん欲しい、新しいものが欲しい。

そんな気持ちは誰しもがもっています。

そしてその欲望をさらに喚起するような世の中です。

テレビや雑誌には、常に新しく魅力的な商品が並べられている。

「流行」という言葉を巧みに操りながら、購買意欲をかき立てる。

それは企業が発展するための手段でもありますから、安易に否定することはできません。

ただし、その企業が起こす風に安易に流されないことが大事だと思います。

本当に必要なものは買えばいい。

長い間欲しいと憧れていたものならば買えばいい。

それまで我慢する必要はありません。

新しく魅力的な商品が出てくれば、やはり心は惹かれるものです。

「あんなものがあればいいなあ」という欲望も湧いてきます。

しかし、私はその欲望に囚われることはまずありえません。

欲しいという気持ちは否定はしない。

人間ですから当たり前の感情です。

ただし、欲しいと思った瞬間は、すぐに過去の心として流れていく。

欲しいと思った心にさえ執着をしません。

この感覚を身に着ければ、物欲の渦に巻き込まれることはないのです。

例えば会社の帰り道に、何か魅力的な洋服を目にしたとします。

「ああ、素敵だな、欲しいな。」という気持ちが湧いてくる。

これは自然な感情です。

しかし、今月はお金に余裕がないから、すぐに買うのを諦めます。

そして帰りの電車に乗る。

電車のなかではまだ、その洋服がまだ目に浮かびます。

「やっぱり欲しいな」と。

それでも、電車を降りるときにはもう忘れるように心がけることです。

とにかく一旦、それが欲しいという気持ちを忘れてしまうこと。

欲しいという気持ちをずっと引きずるとをやめること。

すなわち、一つひとつの欲望をどんどん受け流す癖をつけることです。

第一、ずっと「あの洋服が欲しい」と考えている時間こそ、無駄な時間だと思いませんか?

次々と湧き出てくる物欲をなくすことはできなくても、そのつど受け流すことはできるものです。

一度受け流しておいて、それでも必要だと思うのであれば、そのときに買えばいいことです。

何も焦って買う必要はありません。

執着心を取り除くことで、自分にとって必要なものはある程度見えてきます。

例えば今欲しいものが10個あるとする。

それらをしばらく放置しておきます。

心の隅っこにその10個を押してやっておく。

ある程度時間が経った後に、その10個を取り出してみてください。

すると、10個あったものが5個は、もうどうでもよくなることに気が付くと思います。

残りの4個は今すぐ必要でないことに気が付く。

今必要で本当に欲しいものは実は10個のうち1個なのです。

では何が必要で何が不要なのか。

それを判断する準備はあるのか。

その基準はあくまでも自分自身の中にある。

他人が決めることでもなく、流行に任せることでもなく、自分自身が判断する力を持つことです。

女性はいくつものバッグを持っています。

確かにたった一つのバッグで事足りるわけではないでしょう。

社会人ともなれば、仕事用とプライベート用、そしてフォーマルな場所に使うもの。

最低は3つくらいのバッグは必要だと思います。

裏を返せば3つのバッグに少々予備があれば十分なのです。

それにお気に入りの「いいもの」を持っていれば本当は十分なはずです。

仕事用のバッグが壊れてしまったら、そのときに買い換えればいい。

プライベート用のものでさえも、そんなにたくさんは必要がないのではないでしょうか。

合わせるべきものはその日に着る洋服よりも「自分」でなければならないのでしょうか。

自分が気に入っているバッグ。

自分に似合っているバッグ。

そういう目で厳選したものだけを持つ事。

「物」が主人公ではなく、主人公はあくまでも自分であることを忘れないことです。

少し理屈っぽくなりましたが、物欲に流される人というのは、自分ではなく物を中心に考えているという人なのです。

ある女性がいました。

とても洗練された服装をしていますが、決して高価な洋服ではありません。

生活も質素で、無駄のものを買うこともしません。

あるとき、友人がこう聞きました

「もっとおしゃれな洋服を着たいと思わないの? ブランドのバッグが欲しいと思わないの?」と。

彼女はこう答えました。

「本屋さんに行って、値段を気にすることなく単行本が買える。 文庫本ではなく、単行本を買うことができる。私はそれだけで十分幸せなの。」

すばらしい女性だと思います。

少なくとも、彼女は自分の人生にとって何が大切なのか、何が必要なのかをよく知っている。

1500円のランチを食べるより、一冊の単行本を買うことを選ぶ。

それこそが自分にとって有意義なことであることを知っているのです。

つまり、自分の人生がしっかりと見えている人なのだと思います。

物欲のコントロールはその人の力量に委ねられている。

そのように考えます。

「縁」という言葉があります。

これは主に人と人との縁を言うのですが、私は人と物にも縁があると思っています。

今、自分の周りにある物。

それが自分で買ったのであれ、誰かからもらったものであれ、縁があって私のところにやってきた、そのように捉えます。

すでにパソコンを持っているのにもかかわらず、新商品が出ればすぐに買い替える。

まだ3年しか乗っていない車も、新車が出れば買い替えたくなる。

そんな付き合い方に慣れてしまえば、物に対する愛着などなくなってしまいます。

たとえ壊れたとしても、修理をすれば使えるものもたくさんあるはずです。

せっかく縁があって自分のところに来てくれたものなのですから、少しの愛着を持つことが大切だと私は思います。

物を大切にすることは、すなわち命を大切にすることです。

物を修理することは、自分の心を修復させることに繋がる。

もちろん、すべての物を修理することはできませんし、すべての物を「見立てる」必要もありません。

それでも、もしかしたらまだ使えるかもしれない。

そう思う心を持っていることです。

すぐに買い替えるのではなく、もう少し使える手立てを考えてみる。

それが、縁あって自分のところに来てくれた物に対する愛情ではないでしょうか。

学生時代から使っている万年筆。

何度もペン先を交換しながら使っていた。

でも30年も経つと、さすがに使えなくなってしまいます。

その万年筆は簡単には捨てることはできないでしょう。

一本の万年筆に対する愛着、数えきれないほどの文字を書いてきた万年筆。

自分の喜びや悲しみをしたためてきた万年筆。

それはまさに自分の人生の来し方そのものなのです。

そして、その万年筆にはすでに自分の心が宿っている。

物にはそういう部分もあるのです。

そんな気持ちは誰もが持っている。

その気持ちを捨ててはいけないということです。

縁あって自分のところにやってきた物は、自分の人生のどこかで一体化している。

そんな心を持てば不思議と物欲は減っていくものです。

それもまた「知足」への道しるべとなるのでしょう。

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