2019年 12月 の投稿一覧

悩み 心理カウンセラー お金 

私たちを取り巻く物欲や欲望。

現代社会においては、その欲望の元をたどれば、お金というものにたどりつくでしょう。

何かを手に入れたい場合は、そこにはお金の問題が生じてくる。

会社の中で出世したいという欲望も、やはり結果としてはお金が絡んできます。

資本主義社会で生きている限り、私たちはお金というものから逃れることはできません。

もちろん、お金は大切なものです。

お金がなければ生活していくことができない。

この社会で生きていくためには、お金は必要です。

しかし、お金ばかりに執着してはいけないと思うのです。

お金さえたくさん手に入れればそれでいいという考えは、結局は自分自身を傷つけることになると思います。

第一人間は、ただお金のためにだけに頑張れるものではありません。

そこに使命感や、生きがいがあればこそ頑張れる。

本来はそういうものだと思います。

少し極端な話をしましょう。

ベトナム戦争の時代の話です。

ベトナムで、戦火を浴びたアメリカの兵士。

たくさんの兵士が犠牲になりました。

ベトナムで命を落とした兵士たちを、アメリカ軍はすぐに本国に運ぶことはしませんでした。

そのころ、横浜の根岸には米軍基地があり、まずは日本にご遺体を運んだのです。

どうしてそんなことをしたのか、戦火を浴びて亡くなった兵士たちのご遺体は、ひどく傷ついています。

足や腕が飛ばされている。

顔は整然の面影もないほどに壊れている。

上半身と下半身が分かれてしまったようなご遺体もたくさんあったそうです。

このままの姿で、家族のところに返すわけにはいかない。少しでもいいから、綺麗なご遺体にして家族の元に送ってあげたい。

そう考えたアメリカ軍は、日本で遺体の修復作業をしてから本国に送り返すことにしたのです。

修復作業をするのは医師でもない、普通の兵士たちです。

彼らは一生懸命に毎日ご遺体の修復作業に従事しましたが、それでも次から次へと遺体は運ばれてきます。

とても基地の人間だけでは間に合いません。

そこでアメリカ軍は周辺の日本人にアルバイトを頼むことになりました。

ご遺体を綺麗に洗って、傷ついた部分を縫い合わせていく。

一日その作業に従事すれば、日当として3万円が支払われます。

当時の3万円は相当な金額になります。

今にすれば、10万円以上の価値があったのではないでしょうか。

少し我慢すれば、一日で3万円も稼げれる。

お金目当てに結構な数の日本人が応募したそうです。

しかし、この仕事を2日と続けられる人はいなかったそうです。

いくらお金のためとはいえ、その仕事はあまりにも過酷なものでした。

想像するだけでその過酷さはわかるでしょう。

しかし考えてみれば、基地にいる兵士たちは特別手当など一切出ないのに、この過酷な仕事を日々こなしていた。

どうして彼らはそんなことができたのでしょうか。

一言で言えば、それは使命感があったからだと思います。

自分の仲間たちを綺麗な姿にして帰してやりたい。

それこそが、残された者に課せられた使命だ。

そういう強烈な使命感があったからこそ、過酷な仕事にも耐えることができたのです。

一方で使命感を持たずただお金が目的だった人は、とてもその仕事に耐えられなかったのです。

とても極端なエピソードではありますが、私はこの中に仕事の本質がある気がするのです。

どんな仕事をしていても、苦しいときや辛いことは必ずあります。

楽しいばかりの仕事など世の中にはありません。

その苦しさや厳しさにぶつかった場合、それを乗り越える原動力となるものは、決してお金ではありません。

お金さえ稼げれば、どんな苦しみを乗り越えることができる。

人はそれほど単純なものではないし、それほど愚かでもないのです。

やはり、そこに生きるための意味や使命感をがなければ、厳しさを乗り越えることはできないのです。

これが人の本質だと思います。

悩み事 不安 札幌 心理カウンセラー 札幌 カウンセリング

何となく毎日の生活に充実感がない。

楽しいこともないし、何をやっても満足を得ることができない。

物事が思い通りに動かない。

そんな状態になったとき、人はどうしても「足りないもの」を探します。

何かが足りないから楽しくないんだ。

新しい何かさえ手に入れれば、きっと今の生活も楽しくなるはずだ。

今の現状を変えるために、一生懸命に「足りないもの」を探そうとします。

そしてそれが欲望に変わって表面に出てくる。

新しい洋服を買えば、きっと生活は変わるだろう。

欲しい車さえ手に入れば、もっと人生は楽しいものになるだろう。

生活に何かを「足す」ことばかり考えます。

しかし、新しい何かを足したところで心の充実感にはなり得ません。

なぜならば、手に入れたそのときは満足感に包まれるでしょうが、すぐさまそれは「すでにあったもの」になってきます。

新しさの感動は瞬時に消え去り、再び「足りないもの」を探しはじめる。

その繰り返しによって、どんどん心の中に執着心が芽生えてきます。

「足りないもの」を追いかけるのではなく、「要らないもの」を手放すことを考えてみる。

もしも今の現状を変えたいと思うのであれば、何かを「得る」よりも「手放す」ことが重要です。

シンプルに生きるとは、無駄な持ち物をできる限り減らしていくことです。

部屋の中を綺麗に整頓し、すっきりとした空間の中に身を置くこと。

そうすることで、不思議と心の荷物までもが軽くなってきます。

物と心は無関係なものではありません。

それは互いに影響を与え合っています。

余分な物が増えれば増えるほど、心の荷物もまた増えてきます。

たとえば、新しい車を手に入れたとします。

車が生活にとって欠かせないものならばいいのですが、ほとんど日ごろは乗る機会がないとしたら。

せいぜい、週末に近所にドライブに行くだけ。

あるいは、近くのスーパーに買い物に行くくらいしか使わない。

それでも車というのには、税金や駐車場代だってかかってくる。

まして、新車であればいたずらされたらどうしようと心配になったりもします。

夜になれば、何となく車のことが心配になってくる。

朝起きると、まずは車を見にいかなければ気がすまない。

手に入れたときは嬉しさでいっぱいでしたが、やがてそれは心配を生むのです。

明らかに無駄な心の負担が生まれるわけです。

もしも車がなければ、不要な心配をしないで済むことでしょう。

近所のスーパーに行くのは自転車があれば十分です。

その方が健康にもいいのです。

雨が降れば傘をさせばいいですし、寒いときにはコートを着ればいい。

自然を体で感じながら歩けばいいにです。

幸せを得るために手に入れたものが、実は幸せを奪っている。

そういうことが、あなたの生活の中にありませんか。

もちろん、スーパーなどが遠い、出勤に使うなど車が必要な人は持てばいい。

車が趣味の人は新車を手に入れることで人生が豊かになる。

それは、否定しません。

ただ、自分にとって必要かどうかを厳選すること。

不要なものは手放すことです。

もしも今、あなたの周りに物があふれているとしたら、何から手放せばいいのでしょうか。

まずは、あなたの周りの物を三つに仕分けることです。

一つ目は、絶対に自分にとって必要だと思うもの。

仕事に欠かせないものであったり、あるいは、自分の人生にとって大切なもの。

二つ目は、あればあった方がいいですが、なくてもいいと思えるものです。

そして、三つ目は明らかに不要だと思うものです。

この中で、一つ目のものは手放す必要はありません。

何でも捨てればいいということではありません。

三つ目は、明らかに本人も不要だと思っているわけですから、簡単に手放すことができるはずです。

肝心なことは、この三つ目に入るものは、絶対に買わないでおこうと決めること。

物があふれている人は不要なものを次々と買ってしまう傾向があります。

重要なのは二つ目のものです。

あったらいいですが、なくてもいいもの。

これを思い切って手放すことが重要です。

なくてもいいと自分ではわかっていても、ついあれこれと言い訳を考えながら捨てようとはしません。

「いつか使うかもしれない」「いつか役にたつかもしれない」「いつか捨てないでよかったと思うときが来るかもしれない」と。

この「いつか」という日が来ることは99パーセントありません。

もしもその「いつか」が来れば、そのときにまた手に入れればいいだけの話です。

思い切ってこの二番目のものを手放してみることです。

部屋の中がすっきりして、心は軽やかになる。

手放すということは、何かを失うことではありません。

それは、別の何かを手に入れるということ。

心の豊かさを手に入れるということなのです。

「質素」と「簡素」という二つの言葉があります。

何となく同じような使われ方をしますが、これはまったく意味の違う言葉なのです。

「質素」というのは、言うなれば価値の低いもので生活をすることです。

できるだけ安価なもので済ませ、物に対してこだわりを持たないという姿勢です。

たとえば、安価な湯のみ茶碗を5個買うこと。

安価な湯のみですから、割れてもかまわないと。

すなわち「質素」からは物に対する思いも生まれてきません。

また、「質素」に暮らしているからといって、無駄な物がないというわけでもありません。

たとえ安価な湯飲みであっても、必要以上にあるということは無駄意外の何物でもないのです。

「簡素」というのは、必要なものが厳選されているという生活です。

湯のみ茶碗などは、毎日使うものです。

であるからこそ、一つでもいいですから、自分が気に入った「いいもの」を持つことです。

5つも6つも要りません。

高価なものを一つだけ買い、それを大切にしながら暮らしていく。

部屋の中をできる限りシンプルにして、本当に必要なものだけにお金をかけながら生活をしていく。

これが「簡素」な生活ということなのです。

食事にしても同じです。

質素な食生活をしてはいけないと思います。

食事は体と心をつくる基本となるものです。

安くて量がたくさんあればいい。

お腹がいっぱいになればそれでいい。

そういう食生活が「質素」で「粗末」な食事なのです。

体にいいものを食べること。

季節ごとに旬のものを食べ、決して過度にならない。

そういう心がけが「簡素」であり、心身を整えてくれるのです。

私は基本的に野菜中心の食生活を送っています。

決して無駄にお腹いっぱい食べることはしません。

腹八分目に留めます。

このような「簡素」な食事方法をお勧めします。

自分が営んでいる生活を見直すことです。

不要なものは手放し、本当に必要なものだけで暮らすこと。

シンプルで質素な生活を心がけることで、心もまた自然に豊かさを取り戻していきます。

何かを「足す」という意識を捨て、何かを「引く」という意識に変えていくこと。

決して難しいことではありません。

それでも難しいと思う人がいるかもしれません。

何かを手放すことなんかできない。

どうしても欲しくなってしまう。

つい足すことばかり考えてしまう。

そんな人には「放下着(ほうげじゃく)」という言葉を贈ります。

「たった一瞬でもいいから、一切の執着心が消える時間を持つ事」。

これが放下着の持つ意味です。

時には考えるということをやめて、ぼーっとした時間を持つことです。

何が欲しいかとも考えず、何かを捨てなくてはとも考えず、何かをしなければということも忘れる瞬間。

そんな時間を持つことです。

例えば空を見上げてください。

真っ青な空には、白雲がたなびいています。

そよそよと流れてくる風を頬に感じます。

そんな空を眺めたとき、「ああ、綺麗だな」と心が感じます。

この一瞬には、一切の雑念が取り払われている。

ただ、空の美しさだけが心にしみ込んでくる。

ぼーっと空を眺める時間。

あるいは一輪挿しに咲く花に見とれる時間。

あとえ、1分でも30秒でもかまいません。

すべてのことを忘れ、何も考えないほんの少しの時間。

そんな時間こそが大切なのです。

どんなに忙しい日々を送っていても、それくらいの時間は誰にでも簡単に取れるはずです。

よく「ぼーっとしている時間など無駄だ、もったいない時間だ」という人がいます。

きっとそういう人は、常に雑念に囚われているのだと思います。

「ぼーっとする」無駄のすばらしさに気づくことなく、不要な執着心にばかり目を向けている。

そこから、「簡素」な生活は生まれてきません。

何かを「足す」という発想しか頭には浮かんできません。

日常生活の中にある空白のような時間。

そんな時間に身を置くことで、手放すべきものが見えてくると思います。